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医療記者、イタリアンレストランでバイトを始める

私は普段、インターネットメディアで医療担当の記者をしている。

先日、そんな自分が初めてコロナに感染したという体験記を書いたところ、そこで少しだけ触れた「イタリアンでバイトをしている」という部分がやけに注目されてしまった。

なぜ、ベテラン記者がまったく分野の違う飲食業界でバイトをしているのか、それほど生活に困っているのか、と心配もされた。

でも心配ご無用。私はこのバイトを始めて、大袈裟ではなく人生が面白くなってきている(もちろん副収入ができたことも嬉しいわけだが)。

私自身がそんな日々を覚えておきたいので、ここにちょこちょこ書き留めてみる。

いきなりオーナーシェフに呑みに誘われる

きっかけは新型コロナの第7波がピークを迎えかけていた7月終わりの休日の午後のことだった。

近所で散歩中、通りかかったことはあるけれど、入ったことのないイタリアンの店の前に置かれている立て看板のメニューを見ていると、開店前の店の扉が急に開いた。中からハンチング帽姿の40代半ばぐらいの男性が、片手にワイングラスを持って出てきて、私にこう言った。

「おう、一緒に呑もうぜ 」

 なんだ?この人。

ニヤリと笑う顔はガキ大将のような風貌で、いきなりのタメ口がなぜか気にならない。口調からして既にもうかなり呑んで、酔っているようだ。開店までまだ1時間以上あるのに、入って一緒に呑んでいいと言う。その人は、ここのオーナーシェフだと名乗った。

店内を覗き込むと、一緒にいた50代ぐらいの女性が「外でずっとメニューを見ているから、私が誘えって言っちゃったのよ。ごめんなさいね。でもすごくいいお店なの。入った方がいいわよ」とさらに誘いをかけてくる。この店の常連の女性、みちこさん(仮名)だ。

なんだか面白くなって、誘われるがままに入ってみた。打ちっぱなしのコンクリートと木の壁が組み合わさった内装の店内は居心地が良さそう。私の分のワイングラスが渡され、開いたボトルから白ワインがドボドボと注がれた。

これが私とこの店との出会いだった。

まさかの延々愚痴話「店を畳もうかと…」

楽しく呑むのかと思いきや、そこから延々と始まったのは、シェフの愚痴話だった。

曰く、新型コロナが始まって、客が激減した。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置で営業の時短要請が出ていた時は補償金も出ていたが、今はそれもなく経営は苦しい。調理補助や接客のスタッフも何度も募集をかけているが、なかなか応募さえ来ない。

「続ければ続けるほど赤字を貯金から補填することになって、なんのために働いているかわからなくなる。もうこの店から撤退して、田舎に帰ろうかと考え始めているんですよ」

「健康診断で肝臓の数値が悪化して、医者から飲む量を減らさないと肝硬変になると言われてる。でも呑んでしまう」

「どれだけ努力しても全然いいことがないから、今日は日枝神社にお参りに行きました。もう神頼みしかない」

シェフが嘆く度に、みちこさんがフォローする。

「ここまで10年やってきたのにもったいないじゃない」

「すごく美味しいのよ。それは私が保証する。お店を閉めちゃったら私が困るじゃない。絶対続けた方がいいわよ」

「この人は根っからの職人さんだから、働いている子をきつく叱ったりもするのよね…。それで続かないのかもしれないけど…」

話している内容は深刻なのに真っ暗にならないのは、シェフが合間合間にウケを狙ったり、仕事に対する情熱を語ったりするからだ。

みちこさんのフォローの言葉に照れて彼女のお腹をつつき、私が「セクハラ!ダメ!」と突っ込んで、3人で笑う。生まれ故郷の東北弁で笑わせる。

食材や飲み物メニューへのこだわりや、ベーコンや発酵調味料をすべて手作りしていることなどを教えてくれる。手間暇を惜しまない料理のエピソードのあれこれを聞くと、料理人としての真摯な姿勢が伝わってきた。

酔っ払って作ってもらった料理の味は?

3人でそんな風に呑んでいる最中にとっくに店はオープンの時間になったが、確かに客は一人も来ない。せっかくだからと私はタコとアボカドのマリネと、黒板のおすすめメニューにあったスミイカのパスタを注文した。

シェフはワイングラス片手にフラフラしながら厨房に向かう。(こんな状態で本当に作れるのかな?)と心配したが、それは杞憂だった。

北海道産のタコを使ったマリネは塩気もちょうど良く、酔った人が作ったとは思えない味だった。

最初に出てきたタコとアボカドのマリネは塩気も酸味もちょうどいい塩梅で、酔っ払った人が作っていると思えない。北海道産というタコも旨みがしっかり感じられて、食材へのこだわりは味ですぐわかった。

「美味しいですね!」というと、シェフはその日一番の嬉しそうな顔を見せた。「そうだろ!」。満面の笑みを見せながら一緒に食べる。

黒板メニューにあったスミイカのパスタ。
最初から食べきれないのを見越して、半分は土産のパックにしてもらった。

時間を置いて作ってくれたスミイカのパスタも絶品だった。

「ここで働かない?」

すっかり打ち解けて、料理も気に入った様子の私を見て、みちこさんはすかさず「ねえ、ここであなた働かない?」とリクルートをかけてきた。「いやいや、私、フルタイムで働いているんですよ」と言うとがっかりした顔をして、「じゃあ、ここに食べに来てね」と言う。

食べ終えて二人に別れを告げ、すっかり暗くなった夜道を自宅に歩いて帰った。なんとも言えない楽しい気分が胸を満たしていた。

帰宅してからお店の名前を検索した。店の公式ウェブサイトや飲食店検索サイトの客の口コミなども見てみたが、特に面白く感じたのはシェフの書いている文章だった。看板メニューのレシピを熱量の高い言葉で惜しみなく披露していて、ああ料理に真っ直ぐな人なのだなと改めて感じた。

飲食店でバイトしたかったわけ

その後、私は久しぶりに開いた飲食店の求人サイトでその店の名前を検索した。実は私はそのずっと前から、飲食店でアルバイトをしようとこの求人サイトに登録していたのだ。

新聞記者を20年、ネットメディアで5年、医療の専門記者として働いてきた私がなぜ飲食店でバイトをしたくなったのか。

コロナ禍は医療記者としてもかつてないほど忙しい時期だった。刻々と状況が動くため、取材したらすぐさま記事を出すべく深夜まで原稿を書き、原稿を出したら「次の課題は何か?」とまた探す。これの繰り返しで、気の休まる時がなかった。

しかし、メディアの経営はコロナ禍の間、より厳しくなっている。これほど正確な情報が必要な時に、私がかつて所属していた新聞業界は軒並み大幅に部数を下げ、ネットメディアはどこも綱渡りの経営が続いている。仕事は忙しさを増していくのに、給料は上がらず、専門記者としての仕事は評価されない。逆にPV稼ぎのために書いているようなこたつ記事、広告まがいの記事がネットを席巻している始末だ。

このまま医療記者を続けていけるのか、という不安は年々増していた。報道畑でずっと書いてきた私は、食い詰めたとしてもスポンサーへの忖度で筆を曲げることは我慢できないし、そんなことをするぐらいなら記者を続ける意味はない。再出発するならできるだけ早い方がいい。でも記者の仕事というのは案外、潰しが効かない。

50歳も目の前にした私に何ができるだろうかと悩み、好きな飲食業界の接客にまずはチャレンジしようと考えた。食べることも呑むことも大好きで趣味は居酒屋通いだ。それに私の亡き祖父と母は料理人で、特に現役で飲食店で働いている母には飲食業界の厳しさも面白さもよく聞いていた。

しかし、接客アルバイトを目指して登録したものの、この業界での経験のなさ、アラフィフという年齢、本業を続けながら週1〜2日しか働けないという中途半端な条件では応募や面接にこぎつくのさえ困難だった。10軒ぐらい門前払いされ、やっと採用された老舗の有名居酒屋はブラック企業で、1日で辞めることになった。

(やっぱり無謀だよな。甘過ぎる考えだったよな…)

そう諦めて半年ぐらい経った頃、たまたまこの店に出会ったのだ。

面接、すぐ採用、研修の生ビールで乾杯

1日考えた後、その求人サイトで応募してみると、すぐ面接になった。

ランチが終わった後の指定された時間に店に行ってみると、シェフはもちろん私を覚えていたものの、話した内容をほとんど忘れてしまっているようだった。

「なんか僕、変なこと言ってませんでした? 」

すっかり大人しくなって、問題発言がなかったか心配するシェフの姿にくすくす笑ってしまう。

「今月は何曜日に入れますか?」

サクッと採用され、初出勤日も決まり、「せっかくだから、ちょっと生ビールの注ぎ方やってみます?」と、その場でいきなり生ビール研修になった。シェフがグラスを丁寧に洗うところから始まる注ぎ方の手順をやって見せ、私もそれを後から真似してみる。注いだビールはもったいないから呑んでいいよと言われた。

「これからよろしくお願いします」

互いに注いだ生ビールで乾杯し、面接でもまた軽く呑んでしまった。
  
こうして私のバイト生活が始まった。

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